記4

ここは、わたくしキリハラが新ふゆきょうの宣伝をしたり挫折したり
呪いの言葉をぶちまけたり誰彼かまわず攻撃したり
あなたと仲良くなったりするウェブログです。幽霊が消えちまった。
恋の始まりってやつぁ
world'send girlfriend 午前中に成した仕事が一つもないどころか朝一で打ち合わせに上がった今週末締め切りの業務をどのようにして完遂すればいいか何のとっかかりもつかめないまま背中から這い上がってくる虫虫虫虫虫の恐怖と戦っていたら斜め後ろからキリハラを見下ろし食事がどうとか抜かす年下の男の子が目に入り、思わず「え?俺?」と一人称を間違えてしまう程うろたえ惚けた面のまま振り返ったら彼は何をか言わんやといった表情で頷き、約一ヶ月ぶりにランチへのお誘いをくだすったのだった。まともに誘ったら絶対に来ないと踏んでいたのか、女性の名前を挙げて「○○さんが行こうって言ってるんで、どうですか」と控えめな態度でもって喋り続ける同期(キリハラは中途、彼は新卒)の顔に焦点が合わないまま、しかし呆然となっている状態で皆様の会食をけがす訳にも行かないし、眠いし、何より食欲がなかったのでその旨伝えてお引き取り願ったらいつも通り寂しげな表情で去って行った。同じチームの先輩や課長は何も言わなかった。何故かというとキリハラの所属するチーム、元は別組織だったのが現部署に吸収された、言わば外様の連中は基本的に一人で昼食を平らげる習慣があるのであって、隣に座っている先輩などはカップヌードルをすすると同時に空いた手でいらん通知文書を打っており、課長もおにぎりをぱくつきながらソリティアだのマインスイーパに精を出している。別のチームから異動してきた二十代後半の豚野郎だけは率先して出て行くのだが、きっと出先でご飯を大盛りにしているに違いなく、だから蘊蓄豚などとキリハラに陰で笑われる。それは嘘。豚なのは事実。毎日三リットルもの水を飲んでいる健康家にも関わらず胴体が柔らかいエアーズロックよろしくこんもり盛り上がってその奥にある限りない脂肪を想起させる二十代後半で入社五年目で勉強熱心で理屈っぽくて話が長くキリハラの目を決して見ない男。俺、こいつ大嫌い。大嫌いはやや嘘で、業務知識だけは豊富だから先輩の機嫌が悪い時に利用するだけさせていただいている。言い換えればキリハラの知識が塵芥程度のものでしかないことに他ならず、しかもここ一ヶ月余りの間にすっかり仕事への情熱を失ってしまったこの男は率先して質問もせず業務本も読まず、仕事メモの量も明らかに減った。それでいいのか問われればきっと良くない。多分一面でのモチベーション低下は他の分野にも波及する。けれど文章にリソースを残しておくため昼間の業務を適当にやり過ごすと考えれば真っ当なモチベーション低下にも見えないことはない。では何がいけないのか。ここ数日思い悩んでみた結果、業務に関しても十人並みの社会人振りを自分に求めているからであろうという結論に達した。つまり、キリハラの本分は文章を書く所にあるのだから仕事先では最低限の労力しか使わずにおいて、付き合いが悪いだの変人だの後ろ指を差されようとも素知らぬ顔でローコストオペレーションを実施し、窓際族として定時まで過ごしたらばやっと一日が始まるぜひゃっほうと喜び勇んで新型iMacワイド画面と共に来るべき賞への応募作品を作り上げるのが正しいのに、現実を観るとローコストまでは実施しているもののそこに付随するネガティブな評価にそっぽを向けずいっちょまえに苦しみを覚える始末という訳である。要するに贅沢なんである。分不相応なんである。それで心身ともパンクするのだから間抜けと呼ぶ他ない。一人の人間に込められたリソースは無尽蔵なものではなく、時間が特別融資枠で一日一万時間与えられることもないのだから、諦めるべき部分は諦め、嫌な物事は受け流し、笑って誤摩化しながら人生の照準を明確にしてゆく必要がある。そういう訳で、同期の新卒様が何と言おうと今後ともランチミーティングに参加する気はなく、特に新人歓迎会で初めて顔を合わせた瞬間から無限駄目出しを食らわしてきた女傑、彼女も普段はサンドウィッチ片手にスパイダソリティアを一所懸命こなしているのだがそれはさておき、そんな方と昼食に出かけたら何を言われるか分かったものではなく、今や諦めた町の住人であるところのキリハラもストレスを溜めずにはいられない可能性が高いため、いつもにも増してはっきりと断りの言葉をお返しした次第。協調性も社交性もどんどんなくなり、加速度的に立場が失われる。そうやって周囲と断絶することが小説執筆にポジティブな効果を及ぼすとはとても思えず呻吟、ベッドの上を転げ回って羽毛布団を踏みつぶして、そういやもう夏だからそろそろ布団は日干ししてから圧縮袋に放り込まねばならねえけど足下が冷たくなった時に備えてベッドの脇に畳んで置いておき、夜中は足先だけ入れられるよう備えておくのがよろしいと思い直してファブリーズをしこたまかけるにとどめている。夏は近く、気が短い。入道雲の機嫌を損ねないうちに苗場辺りへ繰り出し大好きなマイス・パレードのライブを観賞しながら麻ビールや麻カレー(※)をほおばることを夢見つつ、今日も背中の悪寒と共生し続けている。

※:官憲対策表現。
| 悪魔超人の食卓 | 01:51 | comments(2) | trackbacks(0) |
男のツンデレに価値はない
Ceephax 生まれつき愛想がなくぶっきらぼうなのに加えて他人様の神経を逆撫でするのが得意かつ大好きらしく、行く先々で敵を作りやすい、敵を作ることが多い、ていうか敵作るのほんと上手いよね、そのうち刺されて死ぬなどと言われては土下座して詫びを入れている。最後の台詞は社会に出てから三回ほど頂いた。しかし刺されるとか殺されるとか殴られるといった脅し文句を吐く連中はその実自分で刺す度胸がなく、気分が悪くなる以外にこれといった実害を加えられたことは今までのところない。むしろ凶悪なのは暴力よりも被害者面をして必要以上に傷つかれたり悪い噂を広められたり最悪縁を切られたりする方である。被害者は得てして自分が事の全てを知り尽くしているような勘違いをするし、そうなると味方の多寡によって情勢が決まってくるため、人望がなく友達も少ないキリハラは性根の悪い加害者と見なされ限りあるネットワークを更に狭める結果となるのが九割方、たまに味方が付いたかと思うとその人はいざこざの外側にいたりして何の役にも立たない。
 そんな訳で、キリハラは半生を殆ど嫌な奴として過ごしており、質の悪いことに本人もまんざらではないため、冒頭に書いたように敵はどんどん増えるし味方なんて常に不足している。だったら友達とか恋人と喧嘩した時、周囲の人間が背後から後押ししてくれる人生が良いかと言えばそういうのも気持ち悪い。愛や友情に取り憑かれたらまずいと思っている。世界中の人間が実は愛し合うために生きているとかいう噂は確かに本当かもしれないが、その手の悪霊は口にした瞬間から善性を失うのもまた然り。だから浅井健一はその後「どうでもいいぜそんな事柄」と歌ったに違いない(※)。
 何が言いたいかというと、愛だの友情だのを臆面もなく言ってのけられたら一瞬でやる気がなくなり、また被害者側に回るのも面倒だから嫌なんであります。別に自分以外の人間を積極的に攻撃しようというのではなく、諍い事でせこい位置に立つよりは悪い悪いと罵られつつ欠伸でもしている方が全然ましなだけで、どうでしょう、わたくしはおかしなことを申しているでしょうか。分からないから教えてください。それとも皆さんは周囲の賛同を受けて堂々と誰かを糾弾したいのかしら。だとしたら、よく吐き気を催さないもんですな。すごいすごい。ライトニング偉い。マッハガッデム。
 まあ記4を今でも読んでくださっている方は大体敵を作りやすい質でしょうから、ほんとそうだよねーとか何とか首肯して頂けるかもしれませんが、それもまた被害者友の会の始まりには違いなく、孤高気取りが似た者同士で集まる要領で、村を立ち上げ世界と対峙するのでしょう。常に加害者でいられる訳でもありませんから。
 そろそろ本題に入りますと、煙草を巡る戦争がここ数年で激化してきたようです。人類は嫌煙家と愛煙家に二分化され、間に立つ人はあまりいない。嫌煙という単語は昔からあったでしょうけど、それが権利と名付けられ頭の悪いフェミニズムよろしくご隠居様の印籠扱いされています。嫌煙権を主張すればそれで終わり。そこに付随する正論の槍が後は何とかしてくれる。つまらない武装形態であります。
 かといって愛煙家の言い分に筋が通っていることもなく、最近は彼らも被害者意識を募らせている感があるため、キリハラは嫌煙家を疎む身でありながら愛煙家の側にも付けずにいます。本当は煙草くらい好き勝手に吸って欲しいのですが。
 嫌煙権を武器にする方々は、煙草とそれを吸う連中から確かな被害を受けていると言い張ります。愛煙家は、そういう連中が増えたおかげで規制が多くなったり税金負担が重くなったり肩身が狭いと返します。理屈で考えれば前者に分がある、正しいとなるのかもしれません。ただ、正しい言説が必ずしも善きものを生み出さないのも一つの事実ではありますし、ちょっとした喧嘩に理屈を持ち込むのはあまり褒められた態度と言えるかどうか疑問が残ります。
 このようなケースではどちらが先に悪事を為したかで決着させるのが手っ取り早い大岡裁きですが、そんな審判で両者が分かり合えた事例はあまりないでしょう。ならばどうするか。
 キリハラは、嫌煙家でも愛煙家でもない、要するにどっちでもいい人間として、それぞれが加害者意識を持つことをお勧めします。煙草を吸わない嫌煙家さんは愛煙家さんを許し認め、煙と分ちがたい絆で結ばれた愛煙家さんも同じ態度をとる。双方にそれなりの理屈がある中で、相手が自分に何をしたかではなく自分が相手に何をしてしまったか考える。吸う人間が同類の権利ではなく吸わない人間の主張を受け入れ、吸わない人間は煙草を吸ってもいいよと言ってやる。それ以外に和合の道はないのではありませんか。駄目かね。敵にやられた分を返さないと気が済まんカネ。でも、戦争なんて全員が被害者の皮を被るせいで起こるんだぜ。
 誰に向かって語っているのか不明瞭になってきたのでそろそろ店仕舞いにするとして、キリハラが加害者ぶる理由は何となく理解していただけたでしょうか。そう、この小心者は争いをなくし世界平和を達成するための橋頭堡として加害者意識の強化を絶えず行っているのです。偉いだろ?
 まあそんな事は書いておらん訳でありまして、結局何が書きたかったのかはっきりしないまま本日の記事は完結とさせて頂きます。申し訳ない。煙草については、吸い方を知らないガキをリンチにでき、更にリンチのマナーを守らない馬鹿を鞭打ちの刑に処す法律でも制定されれば解決するように思います。

※:世界中の〜は楽曲『赤いタンバリン』の歌詞、「どうでもいいぜ」は更に後期の『Sea Side Jet City』の歌詞だったはず。多分。浅井健一はブランキージェットシティのボーカリストで、ブランキーは八年くらい前に解散した日本のバンド。ロック好きのみんなはそのくらい知ってるよな。
| ふゆきょう対奴等 | 04:12 | comments(2) | trackbacks(0) |
サンドヴェーパー
 仕事中にかかってくる電話と飛び込みのメールは八割方が悪い知らせなので僕はいつも知らない振りを決め込んでテンキーを打ち続けるのだがそれはいつか段落がつくものだしやっていれば終わりも訪れ結局相対しなければならないことに挟まれる疑問は何一つなくそういう仕事のやり方がいけないのか仕事そのものがいけないのか僕自身に問題があるのか全てのメールと電話と僕の名前を呼ぶ声はコカクチョウの歌なのか段々分からなくなって辿り着く所は怠惰と冗長さの国でありそれが事実ならば僕にとっての仕事は全て行き詰まる運命にあるのかもしれずだったら無沙汰を待ち望み横目で同僚を窺う生活に終わりはない訳だからいっそ埋没した方が身のためと思って不穏な顔をしていると周囲の余計な気遣いがバランスの悪い左手から肘や肩を伝って背筋にまで流れ込み朝から昼過ぎにかけて僕の半身は礫砂漠みたいに荒涼として付け入る隙がなくなり僕は首を傾げ続けながら生きなければならず圧迫された頸動脈から漏れだした血が白目を蹂躙してレッドアウト、コンタクトレンズが表面張力から解放されマウスのボタンに落ちる。
| 秒殺孤児の家 | 01:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
魔獣蛇腹ウォック
村上春樹 ここ一ヶ月の間に目出たき事、耐え難き事、脱力せし事、泣きそうな事などなど、怠け者なりに多くのイベントがあったのだが、それらが人生観だの人格だの顔つきを変えるといった結果に結びついたかと言えば答えはノーであり、むしろストレスフルな環境の中で生まれつき持っていたと思われる愛想のなさやらサボリ癖やら寝逃げでリセット!なんてしょうもない処理ばかりが表立ってきて、いくつかの山を越えて手に入れたものは強化された自我などではなく幼稚さに過ぎないとしみじみ回顧していたのが昨日一昨日だったか、今ではそれすらもう忘れて、巨大なるiMac二十四インチフラット液晶ディスプレイに見入るばかり、毎朝毎晩立ち上げるたびに既存の壁紙では用をなさない千九百×千二百ピクセルのワイド画面に驚かされ、買うまで知らなかったファンレス構造に不安を抱き、あまりにも薄っぺらなマイティキーボードの意外な好感触を楽しんでいて、文章には全然手を付けていなかったのが、「もう夜中だから明日に備えて寝てしまおう」の一言で簡単に逃げ出す自分にいい加減嫌気がさしたのか、文章から離れているだけで体中に濡れた砂利がたまってゆく不愉快な感覚と付き合うのに疲れたのか、はたまた理由が出来たのか、前の記事から一ヶ月以上を経て、やっとこさロリポブログの執筆画面と向かい合う覚悟を決めた。
 久々に書いてみると、やはりどうしていいやら皆目検討がつかず、結局以前のやり方をトレースする自己縮小再生産に終始してしまうので、明日からは少しずつでも毎日書かなければならないと思う。書かなければと思うと書きたくない。キリハラが文章を書く時そこに理由はなく、書かない方にはいくらでも理由がある。本を読みたい。音楽に浸りたい。酒を飲みたい。寝たい。めんどい。しかし理由があってやらないというのは非常に質の悪い否定なのではないか。理由もなく文章を書かない人間は山ほどいるし、書く人間でも理由なくそれをやめることがある。一方、書かないことに理由をつける人間はその時点で精神の脆弱さを肯定している部分があり、悪気がないぶん手に負えない。
 では、理由なく文章を書く連中も礼賛されるべき存在にはならないのか。多分そうだ。少なくともキリハラはどこへ逃げてもいつか書く所へ戻って来ざるを得ない馬鹿野郎で、そのために誰かを被害者にしたとしても、全然痛くも痒くもない。息をして水を飲んで炭水化物を摂取して、結果誰かが傷ついたらそこにいたそいつが悪い。もしかしたら生きているだけのキリハラが悪いのかもしれないが、そう言われても困る。困るけど言い分は聞くから許してくれませんかなんて言ってみて、更に誰かを毀損至らしめたりして、後悔だけが残り、それでも理由がないまま書き続けて反省のはの字も覚えようとしない猫背の文畜生。
 書くことには理由が必要でやめる理由は用意しないのが潔いのか?
 書き続ける中に答えがある訳でもなく、それを知りながらも書かざるを得ない人間だけが言葉への漸近線を生み出せる。そういうことじゃないのか?
 よく分からない。ただしこれは子供の小理屈であって世界には通用しないし、商売には大人の理屈が必要なのは分かる。そのさじ加減を間違えた奴から滑落してゆく、それだけのことだと思う。そしてさじ加減の何割かは無心のうちに手に入れられなければならない。
 滑落すまいと踏ん張って、確信犯的に崖を上っている限り漸近線にすら近づけない。そのくらい、誰でも分かるだろうと油断していたら案外気づいていらっしゃらない御仁が多く、時たま辟易させられる。
 話は新型マックに変わる。
 夏冬の賞与で二分割しようと目論んで量販店を訪れたらそいつは翌日からじゃなきゃ出来ねえんだカスと罵られ、更に身分証を持っていなかったためカード払いにしなければならず、だったら頭金半分で残りを六ヶ月にして貰えるよう嘆願したところVISAカードの最高分割回数はたったの二回しかなく、しかしながら二回までなら分割手数料なしでもローンを組める(※一)とのことだったため、向こう二ヶ月の赤貧に背筋を冷たくしながらも念願の新型iMacレオパルドを手に入れたキリハラは、地元で会った友人についつい自慢をしてしまい、結局買ったばかりのハイエンドさんを増設メモリもろとも強奪され、挙げ句の果てに殺された。な、何をする貴様らー!(※二)
 最新OSレオパルドのすごさはまだ使い切っていないこともあってあまり分からず、最悪理解する前にハードの方が崩壊するかもしれない。百数十の新機能と言われても、シンプルな挙動を好むキリハラにはピンと来ない。一方、薄っぺらいキーボードは使っていて非常に楽しい。形はノートパソコンのそれなのだが押した感覚はデスクトップの手応えに近く、押し損ねがない上にパチパチとへたれた触感を味わう必要もない。隙間が狭く浅いため、間にゴミが詰まりにくいし掃除だって一撫でで済む。すごいですね、サイエンスって。本体はファンレスのためすぐ熱くなるのが恐いものの、イヤフォンを付けなくても細かな音まで聞き取れるのがありがたい。ファンの騒音は結構邪魔なのだと再認識した。
 あとは無駄に広い画面をどう活用するかというところ。試しに何枚か溜まっていたアニメのDVDをかけてみたらノイズが酷かった。だがこれはDVDの画質そのものに問題があるらしく、アマゾンのレビューで苦言を呈されていた。放映時はハイクオリティな映像が売り物の一つだったのに、どうしてDVDに落とし込んだらノイズが発生するのかしら。誰か知っていたら教えてください。富山の下町風景に横線が入りまくるとサイバーパンク作品か『電脳コイル』みたいでちょっと面白いけど、やっぱり奇麗な方がよろしいと思うのである。

※一:つまりどうやっても分割手数料はかからねえってことだろ?

※二:ロマンシングサ・ガというゲームのネタ。サブキャラクタがレアアイテムであるところのアイスソードを手に入れたと大喜びしているところで三択が現れ、そのうち「殺してでも奪い取る」を選ぶとこうなる。
| バーンアウト | 02:13 | comments(2) | trackbacks(0) |
どきどきコムサ弾劾裁判
野田秀樹 時々黒子が増えている。腕や手首や首筋や胴体など、場所を選ぶことはない。一昔前は指先を怪我するたびにその跡が黒子と化して、怒り狂って安全ピンを持ち出し皮膚を抉るなど日常茶飯事だった。神経症患者の自傷行為みたいで今振り返ると少し恥ずかしいが、身体中が黒点にまみれて有害な熱線を周囲にまき散らすことを考えれば妥当な選択だったようにも思える。
 血溜まりやニキビ、吹き出物の類に穴をあけて潰すのは危険な民間療法かと思えば案外正しい方法論らしく、鼻筋に巨大な吹き出物(めんちょう)が出来て会社の診療所を訪れた時は、看護師のおばちゃんが真空パックの注射針を手渡して「これで穴を空けなさい。私が切って上げてもいいけど、自分で出来るでしょ」などと無責任なんだかツンデレなんだか判然としない応対をしてくれた覚えがある。
 おばちゃんとの付き合いは長かった。キリハラは薬や仮眠が大好きだったものだから、暇を見つけては風邪薬やら安定剤やら軟膏を貰いに行ったりそのついでに寝かせてもらったりしていたものである。薬局に行けばいくばくかの金を払わなければならない安定剤も、福利厚生の一環として無料になるだけでなく、法令を無視した大量日数分を処方されるため、非常に重宝した。平気で一ヶ月分くらい持たせてくれるんだもの。
 ただ、これはキリハラが特別好かれていた訳ではなくて(親密ではあった。毎週通っていたので)、同期の連中が風邪気味だと言って診療所に足を向けては飲み切れないほどの粉薬を持ち帰る姿をしょっちゅう見かけていたし、昼食時(※)がおばちゃんの話題で持ちきりになることも多かった。違法な量の薬、明らかに看護師の管掌範囲をはみ出した診療、業務時間無視の仮眠ベッド。あそこは確かにオアシスであり、同時に会社の大らかさを体現する空間だった。思い出しついでに書くならベッドが三台設置された仮眠室と、主に女性や茶道部が利用する畳敷きの休憩室、更に昔はトレーニングルームなんかもあったそうで、どうして俺はそんな面白い会社を辞めてしまったのかと今になって後悔している。多分通勤がきつかったからだろう。何しろ今の仕事先まで家から四十分の所、前はどう頑張っても一時間十五分かかっていたし、始業が八時半と早めだったから相当早い時間に起きなければならなかった。その分通勤中の読書時間は長くとれたものの、酒を飲んで帰るとなると結構辛い。まあ、そんな事を書いたってしょうがないんだけどさ。
 始業時間が早いのは、少なくとも二つの点でメリットがある。
 まず一つは通勤ラッシュを避けられること。大分前に流行りかけて結局お蔵入りになった時間差通勤というやつ。あの中はフレックスタイムの採用による遅番と同時に、早番も含まれる。実際、七時台半ばの電車は八時過ぎのそれよりも全然空いており、読書空間はもちろんのこと、新聞を広げるスペースすら確保出来ることがある。満員電車の圧迫感はストレスの大いなる源泉となるから、多少乗っている時間が延びても上手くトレードオフされるように思う。
 二つ目は、実質就業時間が短く感じられるというか、真面目に働く時間帯が少なくて済むこと。キリハラのいた会社は部署によって始業時刻が異なり、事務職は営業に比べて三十分早かったので、勢い退社時刻も十七時過ぎとなる。そして銀行が空くのはATMでも八時四十五分だし、そもそも朝っぱらはみんな仕事をしない。十七時を過ぎれば帰る準備に取りかかる。となれば実質稼働時間は九〜十七時程度であるから、昔の公務員を彷彿とさせる短時間労働が完成することとなる。とても嬉しい。
 こういうのんびりした仕事を出来ていたのはひとえに小汚い下町のそのまた外れというろくでもない立地と精密機器ニッチメーカの地位を持ち合わせていたからだと、最近しみじみ回顧する。全社一斉健康診断とか、ペットボトルを安く売っている組合とか、何だか薄暗い職場とか、実は結構良い会社だったのかもしれない。少なくとも息はし易かった。潰れかけだったけど。
 そのうらぶれた会社から抜け出して東京都のヘッドクォータに戦場を移してみると、如何に自分がやる気やら気配りやら優しさやら協調性のない阿呆かよく分かり、毎日情けない気持ちになる。昨日辺りから開き直ってはいるけれど、もうしばらくは情けないままに違いない。何だか活気に溢れた街や会社はあまり得意でなく、自虐史観を交えつつ職人気質の仕事をする方が性に合っているように思われるのである。次の仕事先は田端か在宅にでも出来れば良いのだが。
 何だ、昨日と同じこと書いてんじゃねえか。糞っ垂れ!

※:前に勤めていた会社は自社ビルを持っており、地下には食堂もあった。そしてキリハラにも好き嫌いは別にして二十数名の同期がいたため、昼食は一緒に食べていたのである。その後アトリウムにたむろしてお喋りに興ずるのが同期の常だったが、面倒になってさっさと放棄し、やっぱり本を読んでいた。昼休みくらい一人でいさせろっての。
| 悪魔超人の食卓 | 01:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
羽の生えたヤクトタイガー
高野和 父親によく似ていると言われた。のはもう半月も前の話になる。地元のジガースポット。あらゆる酒を必要以上に高い値段で出してくれるため、飲み会帰りの酔い覚ましに一杯なんて気分でラフロイグを頼んだついでにあれもこれもと元々高いシングルモルトウィスキィにかまけていたらいつの間にやら五千円でも利かなくなっている。その辺の居酒屋で友達とたらふく飲み食い、三〜四時間居座るか、もしくは女友達と連れ立ってちょっと瀟洒なお店でワインのボトルを入れたりすると大体五千円を記録する。先週初めて行った合コンでもそれと大して変わらない会計だった。となればショットグラス三杯におつまみで万札を出さなければいけないってのは相当な値段なのではないだろうか。
 しかし既に酒が入って惚けた頭は価格ショックを軽く受け流し、明けて二日酔いの気配がして来る頃にやっとこ背中が汗まみれになるのである。何でも風呂場に行く最中で早起きの父親と出くわした時には「寝て起きたら財布の中身が別人になっていた」とか妄言を吐いたらしい。その後すぐさま髪を洗って歯を磨いて、昼過ぎまで再度寝たはずだから、実際に言ったかどうかは今でも分からない。父親も寝ぼけていたし。
 再度寝たというのは件のバーから帰るなりスーツも脱がないままベッドにひっくり返って気絶したからで、そこに至る記憶もまたなく、締めの酒にウィスキィはいかんと今では後悔している。していない。むしろ酒で失敗すると克己心が燃え上がるタイプであって、シングルモルトだアイラ島だと言い始めたのも昨年の初夏にバーボンをしこたま飲んでサディよろしく胃の中身を道端の樹にぶちまけたことに起因する(※)。何事につけ腰の重いキリハラというイカレポンチが珍しく頑張ったと思ったら酒だったと。破滅志向でもあるのだろうか。あるのかもね。道路に寝転んで周囲の人々から引っ張られながら、「僕はここで死ぬなら本望です」なんて叫んだらしいから。何で死ななかったのだ。
 更に、近頃は休みになると昼間から秋葉原のHUBでエールなど飲み漁るにわか酔っ払いのキリハラさん、三年もしたら本職のアル中と化しているかもしれない。肝臓が壊れて再起不能。二十台前半から独り酒を続けている二つ年下の友人が巨大胆石と脂肪肝に見舞われて腹をかっ捌く羽目になったというから、同じことがキリハラに起こらないとは言い切れない。知己の皆様は、どうか止めてやってくださいまし。たとえ止まらないとしても。
 それで父親似宣告をされた所から半月が経過しているのは、なれもしない社会人の型に自分を嵌めようとしていたからであります。入社半月で既にやる気は尽きているにも拘らず、毎朝半泣きで千代田区のどこかへ通っております。で、寝る。働く。寝る。机を叩かれる。トイレで寝る。飯。一人で読書。とうとう誰からも仕事以外の話をされなくなる。
 キリハラは一年くらい前から継続的に愛想を振りまくことを諦め始めた。酒を飲めば適当に笑うが仕事先の定時内及び昼休みは誰の元にも近づかず誰にも近づかせず、一人でいることに決めている。吐き気がして来たから。あと、多分寂しいから。
 それで飲み会のさい駄目出しを食らうことはあるものの、業務に関してはきっちり帳尻を合わせているのであまり問題視はしていない。
 と考えていたところ、内田樹が「有能とは、自分一人が良い仕事をするのではなく周囲の良い仕事を誘発すること」といった記事を書いており、深く納得しつつ、同時に自分の無能さを認めるに至ったことを知る。この先小説家になろうとサラリーマンを続けようと世界を放浪しようと俺は有能のザルからこぼれ落ちた小物として生きて行くのである。感傷ではなくて、素直にそう思う。それで構わないです。その意味で有能な人間は多分大嫌いだから。
 そんな訳で現状、最悪の社会人としてむくれた社会生活を送り、何とか社会に順応しようと目論みつつ中途半端に生きていたのが、どうにも苛立ちが収まらなくなり、ついでに夜中布団を被って朝へ高飛びするのも不愉快で堪らない状況であることに業を煮やしたのが良いのか悪いのか、結局文章を書く所に帰って来たのが半刻前。書いてみたところで救いがある訳ではないと感じながら書かないよりはましと開き直ってキシリトールガムをボトルから流し込んでいるのが今現在。カロリーコントロールと称して食事を控えめにしている内に、朝食抜き、昼はおにぎり一個、夜はドトールのミラノサンドと、およそ人間らしからぬ食生活が日常化してしまったので、明日は昼に弁当でも頂こうかと思う。同僚とランチに行け?だからもう誰にも誘われねえんだって。
 それにしても、三杯で六千五百円はあんまりですよね。おいしいけどさ、アイラモルト。

※:サディは新ふゆきょうに置いてある小説『プロブレマティック』の主人公。内臓が悪くいつも吐いている。キリハラが樹に向かって吐いたのはバーの主人から「肥料になるから」と言われたかららしく、そう考えればエコロジカルと言えないこともない。この話はどこかでしたっけか。
| ふゆきょう対奴等 | 01:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ささくれ食いちぎる
Joseph Nothing 今年のゴールデンウィークは見事な飛び石連休だったうえメインの三連休が土日にかかってしまい、大型と呼べるんだか呼べないんだかよく分からない宙ぶらりんの状態が一週間あまり続いたという見方をした方がよろしいように思える。前職ならば間の平日に閑散期の休日や土曜日を振り替えて無理矢理十一連休を造ってしまうところ、現在通っている仕事先は意固地なほどにカレンダそのままの休暇をとっているため、キリハラに福音が下ることはなかった。しかしながら最初の土日から昭和の日にかかる平日を自主休日として部屋にこもって過ごしたこともあって、四、一、四の間に一日ずつ出勤日が入るだけと、ある程度のまとまりは得られたと言えないこともない。四、一、四なんて書くとフッチバルのフォーメーションみたいでちょっと嬉しい。バックラインが四人でフォワードも四人、中盤をすっとばしたKUNIMI高校スタイルのロングボール放り込み戦術で、ミッドフィルダは一人退場済み。セカンドボールへの対応に人数を割けば、雑魚相手ならそこそこ機能するのではなかろうか。というか雑魚相手ならなんて留保を付けている時点で戦術とは呼べない。そもそもスポーツ好きにしか分からない話でごめんなさい。もう少し続けます。
 大阪を南北に走る谷町線という市営地下鉄の駅に、谷町四丁目がある。同じく六丁目、九丁目もある。四丁目の駅近くには全室PC完備で施設も綺麗なホテル・ザ・ルーテルが建っており、大阪を訪れる際は殆ど毎回利用していた。このホテルは毎年年末年始になると創立記念格安プランを提示することで大阪のシティホテル好きから一目置かれ、そんな奴らが実際いるのかは別として、キリハラは二度か三度、正月三ヶ日及び大晦日の滞在先として重宝しつつ、何故自分は飲食店も開いていない冬の最中、近くのコンビニで買って来たカップラーメンをすすりながらデルの小うるさいPCと向かい合っているのだろうとトホホ気分を満喫した。出来ればこの先、そんな寂しい籠りの日々は過ごしたくないと思う。またこのホテル、良質のベッドが自慢の一つだったはずなのだが、固めのマットレスがキリハラの身体には全く合わなかったようで、いくら早寝をしても姿勢を変えても朝起きたら一睡もしていないような不快感にまみれることが多く、用事のない日は梅田の外れに出かけてはマッサージを受けるという本末転倒なパターンを繰り返した覚えがある。本末転倒?休息をとるためのホテルでわざわざ疲労を抱えたってことだろう。成る程ね。
 谷町四丁目は、地元民の間では谷四(タニヨン)と呼ばれていた。同様に谷町六丁目も谷六、九丁目は谷九と、谷町三連星だった訳である。更に言うならこの並びは四・六・九と略すことができ、そうすると野球のダブルプレイを彷彿とさせる響きになる。四はセカンド、六はショート、九はライト。この三者でどのようなゲッツーを獲るのかについて友人と話したことがあり、特にライトを絡ませる辺りで難儀した。セカンドゴロをショートに渡してワンアウトとするまでは良いとして、一塁にライトをねじ込む理由がなかなか思いつかない。ファーストはどうしたのか。今適当に考えてみるならば、ライトがイチローか赤星のごとき俊足であり、ファーストは捕球恐怖症だったとするのが妥当に思える。内野ゴロが来る度にライトが一塁カバーに走ると。もしくは一塁ベース周辺にすみれの花がひっそりと咲いていたため、優しい心を持つファーストはそこに近寄れなかった、いきなりボールが飛んで来るとびっくりして対応出来ないチキン野郎だったとか、リアリティを追及しさえしなければいくらでも案を出すことは出来る。逆に、現実として考えるならほぼ不可能だろう。唯一の可能性としては、強烈なライナーがファーストの頭を襲い、二塁側に跳ね返ったところをセカンドが捕球、ショートと連携の後、俊足のライトがベースカバーに入ったというくらいか。でもそれならピッチャがカバーをしているはずだから、やはり現実味はない。
 このような妄想は、書いている本人は楽しいのだけど読者諸兄はどうお感じになるのか甚だ疑問である。アップロードする度に面白いんだかなんだかよく分からなくなる。だが、小林よしのりみたいに自分の原稿を読み返して大笑いするよりはましかとも思う。作業中は天才、完了後は凡才と自覚し、瞬間的な爆発力と死ぬまで続く自己批判の間を行き来するのが創作の基本なのかもしれない。
 ところで昨日、連休も終わりに近いにも関わらず友人と夜中までチャットをし、その中で文章の何たるかについて色々考えた。何かの叩き台になるかもしれないから、以下に会話をまとめて寝ようと思う。
 発端は人生の艱難辛苦と悟りについての話だった。そこから論点は以下の順で展開する。

友:小説だって一種の求道みたいなものではないか。
キ:求道の部分もある。ただ、それが全部ではなく、道であり術でもある。
友:それは手段という意味か?
キ:術が手段になる時もある。術や道はそれそのものだが手段はそのものである必要がない。
友:イデアと影ということか?
キ:術や道は代替物がなくて、手段は何かで代用できるってことかも。
友:この場合の「術」が含む、「手段」以外の意味は?(イデアはどこ行った)
キ:純粋な技術ではないか。
友:時にほかの意味にもなりうる場合、どんなものになりうるのだ。(つか、イデア)

 ここで混乱したキリハラ、例示にて代替する。

キ:あるレトリックを知らなくても文章は書ける。それとは関係なく使われないレトリックは生きている。レトリックは表現手段なんだけど、それが手段として機能しない場合も存在の必然性を妨げられない、みたいな。
友:レトリックの一節を、もう少し噛み砕け阿呆。

 更に困って表現レベルの話にドリルダウン。

キ:「人口に膾炙する」って表現がある。でも、文章を書く際にこれを使う必要はどこにもない。「巷間に広まる」とか「よく知られている」って言えばいいから。でも「人口に膾炙する」は存在する。で、厳密な表現を志向する際には手段として用いられることもある。
友:(ほんまかいな)。

 つまり、小説というか文章は道であると共に技術でもあり、技術は手段に成り得るが、手段であることを求められる訳ではない。この辺り、武道の理屈を援用してみたら案外うまくまとまって驚いた。
 では手段以外の術とは何かにまで思考が至らなかったので、誰か分かったら教えて下さい。あと、友人へ。勝手にメッセージを改竄してごめんなさい。
| 小説がどうかしてしまった | 02:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
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